「グレートシーマンプロジェクト」-タニンバル諸島編 その1-
2015.07.02 八幡 暁

「グレートシーマンプロジェクト」-タニンバル諸島編 その1-

【グレートシーマンプロジェクト タニンバル諸島編 その1】

はじめに

GPSは持ち込まない。

連絡手段も持ち込まない。

コンパスも持ち込まない。

現地の情報は探らない。

地図は、白地図のみ。

ネットさえ繋がれば、どこの島のどの部分に村があり、規模はどれくらいであり、港があるのか。日本だけでなく、見知らぬ世界のどこまでも事前にわかってしまうのが現代です。

「あえて知らないままにして現地に向かう」

今年2月、わたしはインドネシアの秘境と呼ばれる
南西マルク州タニンバル諸島へと向いました。

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遠征スタイルの変化

バリ島から東に1800キロ。(この距離は、東京から沖縄県宮古島までの距離と近い)秘境と呼ばれるこの地域は、観光地としての開発が行われていません。

ニューギニア文化の影響を受けてきた西端に位置しています。

かつては首狩りの習慣があったとも言われている海域です。

この場所へ行く為に、どんな段取りをするのか。毎回、準備には気を使います。(というかそれが全てかもしれません)

カヤックに乗り、パドルを握り、オーストラリアから東京までの漁民に出会う旅のスタイルは少しづつ形を変えていました。

かつて海を漕ぎまくり、身体を作ってから現地に向かっていた10年前と、今。何が変わってきたのでしょうか。

自給活動も目的の一つと、素潜りを駆使して旅をしていたわたしの時代は終わりました。

人の助けがなくとも、海外の現地で生き延びるようなサバイバル技術は、便利なインフラから切り離されている地であろうが、日本であろうが、やることと変わりありません。今では、どこでも出来るようになっていました。

 であるならば、と、必ず漁村にお邪魔させて頂いて暮らしに出来るだけ触れることが最大の目的になっていました。

長距離の海峡横断。

30代前半、立て続けに行っていたのは前人未到の記録を狙っていたわけでなく、単純に向かっていた海域に必要とされていた為です。

オーストラリアから日本までの残された道のりに、もう100キロを越える島渡りはありません。

それに伴って、漕ぎ続ける力は失っていきました。

10年前と比べれれば、日常の生活も変わっていました。

一般の方々を海に連れ出し、身の丈+10センチメートルの世界をサポートするガイド業を生業にしつつ、生活の魚は海から頂きながら、毎日のように海に出ていた石垣島での暮らし。

今は神奈川県の逗子に拠点を移し、海に限らず、道具にも拘りはもたず、身近な自然を足下から取戻すような活動をはじめていました。

これまでの20年と比べれば海に出る回数は激減しています。

そんな中での海外の遠征は2年ぶりとなりました。

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出発の苦悶

当初は100㎞弱の島渡りが2つ、50㎞の島渡りが3つ…

そんなコース設定をしていました。

漕ぎ続ける時間にして、24時間以内には勝負がつく距離です。

「100㎞以下なら、なんとかなるだろう」

最近、100㎞の距離を漕いだことはありません。

かつての身体のままであれば、問題ない距離ではあります。

途中で漕げなくなることは、まずありません。

では今は?

去年、何回50㎞以上の海を漕いだ?

荒れた海で練習したのはいつ以来?

ふとした疑問が自分に向かってきます。

そして小さな棘のようにちくちくするのです。

その他にも、雨期の西風が強い、という情報もありました。

以前、得ていた情報では西風がそれ程強くならない海域だったはず。

実際、現場に降り立ったことはありません。

どちらかの情報が間違っています。もし西風が強いのであれば、100㎞の島渡りは出来ません。

現場に出るには「怖い」の具体化が必要だ。

海に限らずフィールドに出るとき考えることとして

自分が漁師に学び、人にも伝えていたことです。

今、自分はそれを疎かにしてないか?? 

海に出る際やってきた不安は、今の自分自身を理解していないこと、現場の海況を理解していないこと、その両方からやってきていたのです。

これこそが遭難、最悪の場合は死ぬパターンではなかったか。

練習をしなおして、現地情報を確実にして出発時期を遅らせるか、今の自分で出来る形に行くべきコースを変更するか、どちらかを迫られていました。

出発前の不安…これは最悪です。

横断は辞めよう。

仮に風が強く吹いてもやり切れる形を考えます。タニンバル諸島、メインになる島を1周しよう。

距離にすれば、320㎞程になります。イメージは、電気ガス水道の行き届かない沖縄本島を1周という感じでしょうか。

漕げる日数は24日間なので、1日の移動にならしたら20キロ以下です。これであれば身体的な無理はありません。

大きな島渡りが大きなハードルでなくったコースなのだから、より漁村の暮らしに触れていこう。

身体の負担を減らした変りに何か頭を使うようなことは出来ないだろうか。

そう考えだしたのが、あらゆる情報を事前に調べない、というものでした。

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成田からバリ島に飛び、インドネシアの国内線を3度乗り換えて着いたのが、

タニンバル諸島のメインの街、雨期末期のサウムラキに降り立ったのです。

つづく

レポーター紹介
八幡 暁
八幡 暁

やはたさとる●1974年東京生まれ。素潜漁とシーカヤックを駆使しながら海を渡る旅のスタイルを確立。オーストラリアから日本まで横断する前人未到の人力海旅「グレートシーマンプロジェクト」を2002年より開始。「手漕屋素潜店ちゅらねしあ」のガイドとしても挑戦を続けている。

グレートシーマンプロジェクト 手漕屋素潜店ちゅらねしあ