Andorra Ultra Trail 2016 レポート
2016.09.09 山本 健一 

Andorra Ultra Trail 2016 レポート

Andorra Ultra Trail 2016 レポート

2度目のアンドラ

 2013年6月、雪に覆われたアンドラの山々を僕は走っていた。距離184km累積標高12200m。アイゼンは要るのか、換えのシューズはどこに置く、そんな会話が事前準備の段階で飛び交っていた。最高峰のコマ・ペドローザを始め、3000m近いピークは全て迂回ルートだ。それでもアンドラは激しく、そして美しかった。35km付近で膝が痛み出し、100km先で「野生」になった。夜中にはヘッドランプを消し、しばらく星空を眺めた。睡魔に襲われて、ストックに額をつけ、7秒数えた。丸太橋が凍っていて一緒に走っていた選手が川に落ちて助けたりもした。いろいろあった2013年の旅は31時間で終わった。翌年はレユニオンに行き、睡魔や知識不足で不甲斐なかった自分を見つめ、ゴールで涙を流してしまった。2015年はヨーロッパで最難関コースと言われているレシャップベル(フランス)において4回の睡眠を取りながらも、最後の40km最高の走りをして笑顔でゴールできた。

 2016年はどうなるのか。昨年レシャップベルを終えたばかりの僕は、アメリカのハードロック100に出場してみたかった。レユニオン、アンドラももう一度走ってみたいと思っていた。このところの僕は、激しく難しいコースの虜になっている。フィニッシュタイムも30時間前後だ。2015年12月、ハードロック落選の知らせが届く。実は3回目。また来年!そうなると仕事のタイミングや開催時期など考えると、今回はアンドラへ再び行くことが一番だと決心し、アンドラのオーガナイザーに問い合わせてみる。結果は2013年のこともよく覚えてくれていたし、ウエルカムだった。そしてチームのボスである齋藤通生さんにも相談したら、「いいですよ」と言ってもらえた。アンドラ行きが決定した。ということで早速アンドラへの準備が始まった。

 

170km、13500mD+。

今年は雪がないらしい。つまりアンドラのフルコースにアタックできる。もうワクワクが止まらない状態になり、早くアンドラを走りたいという気持ちで一杯だった。大会HPでコースを見ても7割は前回と違うレイアウト。コースプロフィールから考えても、前回のレースのタイムやコース状況は全く参考にならないと思った。とりあえず、13500mD+に備えて、急で長い登りの訓練をすることに。間違いなく甲斐駒ヶ岳黒戸尾根である。2300mの標高差を一気に登るのは日本では珍しく、ここで今年になり4~5回ほどトレーニングした。その他は北杜高校スキー部の選手と里山を走ったり、ロードランニングしたりして鍛えてもらった。7月に入り出発まであと10日というところで、やけに体が軽くなり、疲れにくくなってきた。いい感じ、と思いながらも、最後に短時間で体に刺激を入れる。翌日激しい筋肉痛に。しかも3日たっても残っている。僕は、刺激入れに成功したと感じた。案の定、出発前にはちょうど筋肉痛もなくなり、また快調な軽い体を手に入れていた。今回もトレーナーとして長野県富士見町の越中さんが帯同してくれて空港から念入りに体のチェックをしてくれている。その状況からも、レース当日はばっちりだと確信していた。越中さんは僕だけではなく、チーム全体の心と体のコンディションを整えてくれる。それによってチームが安定しているような気がする。

チームメイト

今回の旅には僕以外に5名の仲間が同行してくれている。まずは齋藤通生さん。正真正銘のボス。少し前に足首を骨折したが、驚異の回復力でバリバリに動いてくれた。通生さんにいい走りを見せるために僕は走っているのかもしれない。それから奥様の直子さん。家のことを僕たちが住みやすいように環境を整えてくれるお母さんのような人。特に直子さんの料理はすごくおいしい。おいしすぎる。そして、トレーナーの越中隆雄さん。正真正銘のゴッドハンド。体と心をきちっと整えてくれる。100%信頼できる人です。特にヌテラが大好きで、スーパーで必ず買います。次に舘さんこと、舘下智さん。ウエアのサポートをしていただいているHOUDINIのセールスマネージャー。今回はGO PROを片手に、たくさん撮影をしてくれました。とても優しくていつも通生さんや直子さんに突っ込まれている舘さん。最後に藤巻翔カメラマンさん。巨匠と呼ばれて何年?かよく分からないが、とにかくワイルドなカメラマン。よく登り、よく食べる。最高の一枚を撮るためには苦労を惜しまない。彼の写真魂はすごいです。

みんながそれぞれに自分のことをして、他人のことを尊重できるメンバー。本当に珍しいチームだと思う。感謝。

調整

このところ、レース前に少々事前に疲れがたまっているのではないかと、家族から見解があり、今年はとにかく事前によく休んで本番を迎えることができるよう心がけた。家族からの恒例のメッセージTシャツには「睡眠」という大きな字が書かれていた。今年の現地での調整のテーマになった。毎日昼寝をすることを目標に精一杯がんばった。コースチェックも半日で済ませ、ランチはアパートでいただき、その後昼寝を1時間半ほど。夜は21時には寝る。大会前日は20時就寝。食事はいつも通り、動物性タンパク質は控えめに、さらにレース48時間前には朝のスムージードリンクもやめ、食物繊維の少ないものを摂るようにした。いつもと違うのは、現地に入ってから、意識して水を飲み過ぎて、夜トイレに何回も起きるパターンが続いていたので、今回は普段通りの水分補給でやってみた。しかし、結果は夜に必ず1,2回はトイレに起きてしまった。起きるということは熟睡してないということか?しかし、レース直前の夜には一度も起きることなく、熟睡できた。これは僕にとってとてもプラスでほっとした。

 

出発

 現地に入って2日目の朝はとても冷えていて、その時点ではレースは肌を出して走れないと思っていた。しかしその日を境に気温が上昇し、7月15日7:00、オルディノはなんとか短パンで走れるまでになった。約450人のランナーは一斉にオルディノの教会を出発し、長い長い旅に出た。今回のレースのテーマは「真っ白にして楽しむ、感謝する」だった。これは越中さんにアドバイスしてもらったもので、レユニオンで新しい自分に出会って、何かを見つけなくては、と臨んだレシャップベルで色々考えすぎて、結局、無欲になった残り40kmで最高の走りをした。やっぱり僕は、進化とか野生になりたいとか考えるのではなく、頭を真っ白にして何も考えずに走るのがいいのかもしれない。完走できたら100点満点。それだけだ、と昨年のレースのあと感じていた。だから今年は原点に戻り、何も考えずに走ることにした。走れることに感謝する、すごくシンプルな思考に戻った。

リアルアンドラ

レースは最初からクライマックスがやってくる。2013年のときに最後に登った山を逆から登る。その年、レースの中でアンドラはスケールでかいな、と一番感じた岩山をいきなりスタートしてすぐにいただく。しかも更に上部へ。景色や山がかっこうよすぎて吠えまくり。きっと一緒に走っていた選手は、このジャポネは頭がおかしいんじゃないか、と思っていたかもしれない。確か日本から来ていた原さんも近くにいた。そしてその下りは岩が膝丈くらいの草で覆われていて、それを適当に下る。足下が見えないので超不安定。左足首に捻挫癖のあった僕は最近ニューハレのXテープに100%お世話になっている。もちろんこのレースにもしっかり巻いていた。おかげでなんとか、そのいきなりの難所を捻挫すること無くクリアできた。しかし、つまずいて一度ヘッドスライディングをした。手の甲から軽く流血。そしてスネのテーピングがはがれる。たいしたことが無くて良かったが、すごいコースだと、興奮していた。一秒も油断できない。しばらくはその繰り返し。1000mくらいの標高差を登り、また下る。リアルアンドラを序盤で感じた。僕は、アンドラに来られて良かった、と素直に思っていた。

念願のコマ・ペドローザ

前半のメイン、コマ・ペドローザに近づく。ここにはカメラマンの藤巻くんが行っていることを知っていたので、彼に会いたいのとピークからの景色を見たいので、もう早く行きたかった。しかし、そう簡単にはピークへは行かせてくれない。アンドラの山々は基本的に岩山である。コマ・ペドローザはもう麓からガレた岩場が始まっている。標高を上げていくと、更に急になり、砂と岩が混じってズルズルと滑ってしまう。まるで蟻地獄のよう。なので選手達はルートから少し離れた大きな岩を、コースマーキングを見失わないように四つん這いで登る。こんな登り方をしていた。徐々にピークに近づく。手前のコルで、正面に大きな姿が見えた。うおぉ~。とりあえず叫ぶ。この麓辺りからフランスシャモニ出身でサロモンのプロランナーのGregoire(ニックネームはチャーリー)とずっと一緒に走っている。彼は若いがとても強い。序盤でストックが折れて、一本で走っていた。この先このチャーリーと暫く一緒に行くことになる。ピークにつくと、翔くんがいた。いい笑顔だった。「最高っすよ」本当にその通り。すごいパノラマ。少し下に、今回大会主催者側の日本向けメディアとして入っていた岩佐さんもいた。ここまで歩いてきたのかと思ったら、なんとヘリコプターで麓から3分で来たそうだ。翔くんは歩いて3時間。翔くんもいつかヘリに乗れるようになるよ!と適当なことを言った気がする。ピークで記念撮影をしてもらい、すぐに下山。一気に800mくらい下る。このコースは1000m前後のアップダウンをひたすら繰り返す。ここまでに5個は越えてきて、すでに7時間以上がたっているが、距離はまだ40kmそこそこだった。満喫しすぎている感じがする。僕たち選手は本当にじっくりとアンドラの山を踏みしめている。最高!と、とりあえずまた叫ぶ。

チャーリーという男

相変わらずチャーリーと進む。ピカという山からドロップバッグポイントのマルジネーダという街まで一気に1400mの標高差を下るロングダウンヒルがあったわけだが、その出だしが少し危険な岩場で鎖がしっかり張ってあった。僕はチャーリーの後ろを走っていた。岩場なのでザックからグローブを取り出すために少し止まった。そしたらチャーリーも僕をしっかり待ってくれ、グローブを装着するのを確認してまた再出発。危険箇所のためにそのような配慮をしてくれた。素晴らしい選手だとそのとき思った。1400mの下りを今度は僕がチャーリーをリードして下る。半分くらいのところで、チャーリーがぼそっと、「水が切れている、のどが渇いた」と言った。僕はあと300mlくらい残っていた。ちょっと考えて、少しずつ飲めばなんとかなるら~、と45分ほどシェアしながら行く。運悪くマルジネーダはかなり標高が低く、汗も出るしのどが渇きやすい。チャーリーもかなり我慢している。本当にちょっとずつ二人で飲みながらなんとかエイドステーションに到着。僕らはそこで用意されていた飲み物を一気飲みした。みんなでゴールを目指す、お互いは仲間、そんなことを改めて感じられた。

 
夜中

ここからは今度は逆にネグレという場所まで2500mの登りだ。ここも中間部分の核心となる。昼から夜になる場所。ヘッドランプを出し、闇に備える。が、ここでトラブル。ランプがつかない。接触不良だ。またまたチャーリーに助けられる。サブランプを出すのに明かりをもらう。なんとかザックの奥から使わないだろうと、念のため入れておいたハンドライトを取り出し、その明かりで進む。ストックを持ちながらなので非常に使いにくい。なんとか次のエイドで別のヘッドランプとウルトラスパイアから新モデルのルーメン600を渡してもらい生き返った。まるで昼のような明るさ。ほっとしたのか、今度は睡魔に襲われる。チャーリーとなんとか会話しながら単調な森の登りを進んで行くが会話が途切れることが多い。きっとチャーリーも疲れているんだと思う。ここからはサポート隊ともお別れし、次に会うのは朝である。非常に心配だったが、楽しみな夜だったから気持ちも前向きになれた。寒さと睡魔が体を襲う。Dri1ジャケットを羽織り、寒さをしのぐ。3年前ほどの寒さでは無く、凍っていた橋も乾いていた。前回サポートしてもらった世界遺産のクラロ渓谷の山小屋も役員が数名いるだけで本当に暗くて静かだった。前回スルーしてしまった次のエイドの山小屋も普通にあった。なぜここをスルーしてしまったか分からない。雪はなく、川も普通でとても走りやすかった。やっぱり眠すぎて、前回同様ストックに寄りかかり目をつむって7秒数えた。一時的に睡魔からは解放されたが、すっきりはしない。ここ数日は晴れていて、この夜も満天の星空に包まれていた。自然とランプを消し、暫く空を見上げた。30秒くらいみていたか、とてもキレイだった。家族にも見せたいと思った。

ナユ

 そこから僕は生き返った。カーサのエイドにつく頃には完全に生き返っていた。朝陽で藤巻カメラマンが連写。カーサへの下りで舘下さんがGoPro撮影。テンションも上がる。実はチャーリーとは105km付近で、また会おう、と別れた。彼は内蔵の調子が悪くなったようで、115kmでリタイアしたらしい。とても残念。カーサのエイドでは久々に違う選手を見た。彼の名はナウエル。(ニックネームはナユ)のんびりとしていた。そしてすぐ前に、昨年のレシャップベルで3位だった、イタリアのニコラ。130kmの時点でこの3人で走っていた。すぐにニコラは後ろへ行き、ナユと二人で進むことになった。しかし会話がうまく続かない。彼はコマ・ペドローザの裏、つまりフランス側の田舎に住んでおり、オルディノまでも50km。ほとんどフランス語だった。僕もあまり話せないし会話の50%の理解で進む。でも日本にとても興味があるのは分かった。エイドでは小豆などを食すらしい。日本酒も好きだとか。とても優しい人間ですぐに意気投合した。140kmのコルまで一緒に行った。そこまでは腰ほどある草の中を進むわけだが、マークが見にくい。ナユは僕に合わせてゆっくり進んでくれた。フラフラするとお尻を支えてくれたり、間違えそうになると早めにただしてくれたり。ナユは足が長くて、登りが速かった。コルの最後の急登ではナユの地元のテンション高めの友達が来て、一緒に励ましてもらった。下りも一緒に下るのかと思ったら、ナユは猛スピードで行ってしまった。とても追いつける速さでは無く、後ろからすげー、と思った。でも僕も気持ちよく走ることができた。

 最後の試練

 越える山も後3つになった。しかしここでまたあいつがやってきた。フラフラするが前に進みたいという気持ちで進む。すでに27時間はたっていたはずだ。越中さんに、そりゃそんなに長い時間走っていれば眠くなるのも当たり前だよ、と言われ、受け入れる。眠りながら進む。ラストの山を登ったところに翔くんがいた。思わずそこがゴールかのようなガッツポーズをしてしまった。でも最後まですごい山だった。このときは舘さんもGoPro撮影してくれていてこの瞬間に仲間と一緒にいれたことは幸せだ。最後のエイドへの下りも快調に飛ばした。いつもなら膝が痛くてゆっくりだけれども、今回は痛み無し。気持ちよく走ることができた。最後のエイドは第一エイドと同じ場所。ここまで戻ってきちゃったか、と。

 

最高の瞬間

 僕は幸せ者である。本当に皆に感謝しなくてはならない。オルディノは賑やかだった。例によってほぼ全員と握手しながらゆっくりフィニッシュラインへ。32時間30分33秒。旅が終わった。ナユが生ビールを片手に迎えてくれた。ありがとう。サポートの皆もいる。本当にありがとう。最高の時間を味わっている。このときが終わって欲しくないと思った。

 

おわりに

 遠征が終わり半月がたっている。夢の世界はどこへいったのか。やはり僕は高校教師で、普通の生活をしている。これが普通なのだ。特別な時間を作り出してくれている皆さんに感謝しかない。家族も同じだ。いつまでこんな素敵なことができるかわからないが、自然の流れに身を任せ、無理なくやっていけたらと思う。

 本当にありがとうございました。

                          山本 健一

●今回の旅の装備品

山本健一氏シグネチャーモデル:ULTRASPIRE ザイゴス2.0
本体価格:¥23,800
EAGLECREEKロードハウラーエクスパンダブル
本体価格:¥15,000
レポーター紹介
山本 健一 
山本 健一 

トレイルランナー

2008 年ハセツネ新記録での優勝で注目を浴び、2012 年UTMF にて日本人トップとなる3 位、フランス ピレネー100 マイルにて日本人初優勝と名実ともに日本を代表するトップトレイルランナー